2008年6月7日に、第3回『仮想地球』研究会(代表:荒木茂)が開催された。今回は、姫田忠義氏を招いて、「映像作品制作と地域の論理・倫理-自然を撮る、人を撮る、かかわりを撮るー」と題したシンポジウムを実施した。近年、映像機器の利便化により、フィールドワーカーが手軽に現地で撮影し、場合によっては、その撮影で得た映像素材を用いて映像作品を制作できるようになっている。実際に、映像素材を研究に活用する研究者が増えている。こうした状況下、再度、研究者による映像実践の意義を問い直し、時代状況に合わせた映像に関する「実践哲学」を構築する必要があると考えられる。本シンポジウムは、このような問題関心を前提として、企画されたものである。
第一部は、姫田忠義氏の映像作品『椿山~焼畑に生きる』(高知県、1977年、95分)の上映と、姫田氏の講演が行われた。姫田氏による講演では、映像は「生身の人間」を映せるか、という命題が議論された。映像はその手段足りうるか。「生身の人間」が「生身の人間」を写す、というプロセスへの自問自答が繰り返された。人間が人間を研究する、あるいは人間が人間を記録する、ということの意味が繰り返し、問い直された。生身で生きている存在の尊重、は「生身で生きている存在」を、存在しているのに存在していないようにあつかう「現在の時代」へのアンチテーゼである。しかし、映像で「生身の人間」を記録することは、対象である人間が、生々しく生きていること「固定」する、すなわち標本化することでもある。
姫田氏は、地域と、「生身の人間」と、徹底的に付き合い寄り添いながら記録をする、その映像実践こそが「生身の人間」が生きていく基盤であれかし、という願望を抱きつつも、「人間は神にはなれない」という言葉で、自己批判されるのである。氏の映像実践は、フランス博物学の系譜も踏まえたcine-écriture(シネ・エクリチュール)の文脈の中で、たしかにどこまでも「記録」である。「生身の人間」が日本列島には「居た」のではなく、「居る」のだ。映像は、確かにその記録にしか過ぎないかもしれない。しかし、その禁欲的な記録作業のプロセスで、姫田氏と民族文化映像研究所のスタッフは、そのような「生身」として生きよう、生きんとする人間の集まり、コミュニティを最大限に励ましてきたのではなかろうか。
姫田氏は講演の中で、「幻想」性と「仮想」性の狭間にある何事かを鋭く突いていた。幻想でも仮想でもない現実の存在の重みをどう受け止めるのか、という姫田氏の映像を通じた問題提起は、現在の世間や学界に繁茂する、人間をモノとして捉え、「生身の人間」の躍動をシステムの中の機能としてしか評価しないこころのありように対して、存在の「呪い」とも形容できるかもしれない楔を打ち込んでいるように思える。生きている存在を存在として認めない社会とは何か、われわれは何者か。仮想性という言葉を、「生身の人間」の生きていく未来を託して受け止めたい、という姫田氏の真摯な期待に、われわれ「仮想地球」研究会は文字通り「生身」の実践でもって応えていかねばならないだろう。(第一部報告・文責:大石高典)
第二部は、「若手研究者の問いかけ」と題して、京都大学の若手研究者による自作映像作品の上映と研究紹介、姫田さんへの質問がなされた。各発表者と姫田氏のやりとりは多岐に渡ったが、以下ではその様子を簡単に紹介する。
一人目は、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科研究員の岡本雅博氏であった。岡本氏は、自作『ブロジ』(ザンビア、2008年、約9分)を上映した。同作品は、ザンビアの氾濫原に住むロジの生活について、生業から儀礼までを、紹介するものであった。上映後、岡本氏は、大学院入学前に姫田氏の作品を観たことが自身の今の研究生活のあり方に少なからず影響しているという、自身の姫田氏への熱い思いを語った。また、岡本氏は、姫田氏に対して、どのようにしたら映像によって現地の人々に研究成果の還元ができるのかといった質問をした。姫田氏は、自身の経験から、映像作品による成果還元は出来ることもあれば出来ないこともあると語った。
二人目は、京都大学こころの未来研究センター特定研究員の大石高典氏であった。大石氏は、自作『採る、捕る、撮るドンゴを撮る!』(カメルーン、2007年、約13分)を上映した。同作品は、カメルーンに住むドンゴの人々の生業について、芋掘りや魚釣りなどを紹介するものであった。上映後、大石氏は、姫田氏に対して、姫田氏の撮影地に対するスタンスは「旅」と表現できるものであろうが、自身のスタンスはそれとは逆の「居住」と表現できるものであると述べた。また、それゆえに、大石氏は、自身の撮影するものは、どうしてもホームビデオのようなものになってしまうと述べた。姫田氏は、大石氏の作品のなかに映っていた少年の姿を、通常の撮影者・被撮影者の関係では、なかなか撮れないものであろうと語った。
三人目は、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程の柳沢英輔氏であった。柳沢氏は、自作『ベトナム中部高原のゴング文化』(ベトナム、2008年、約9分(特別編集版))を上映した。同作品は、ベトナムの伝統的打楽器ゴングが現地で実際に演奏されている様子と、その楽器の調律師 に対するインタビューをまとめたものであった。上映後、柳沢氏は、姫田氏に対して、自身の研究は音に関するものであり、サウンドスケープという手法がある。その手法とは別に、映像を活用することは、見方によっては、映像は視覚的効果が強いため、逆に音研究にとっては阻害になることもある。姫田氏は映像によって音楽文化を記録する際に、どのような工夫をしているかと質問した。姫田氏は、映像には間接話法と直接話法があり、間接話法によって音を表現できるという映像の利点もあると述べた。
四人目は、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科修士課程の紺屋あかり氏であった。紺屋氏は、自作『神舞』(鹿児島県、2008年、約10分)を上映した。同作品は、鹿児島に400年続く、伝統的儀礼である神舞の様子を、実践者へのインタビューも取り入れながら、まとめたものであった。上映後、紺屋氏は、姫田氏に対して、次回神舞が実施される3年後に再び現地を訪問し、再度撮影記録を行うつもりであるが、一方で次回の神舞の楽器演奏者として参加することも依頼されていると述べた。それを前提として、紺屋氏は、姫田氏に対して、記録者であろうとする自身が、実践に加わってしまうことの問題点について、質問した。姫田氏は、神舞の儀礼内容について、紺屋氏に教示し、そうした神舞への知識を前提として、神舞が行われている場所や舞台の全景から、様々な儀礼装置の細部に至るまで、きちんと記録した方がよりよい作品になったであろうと述べた。
五人目は、日本学術振興会特別研究員の川瀬慈氏であった。川瀬氏は、自作『ラリベロッチ』(エチオピア、2006年、約7分(特別編集版))を上映した。同作品は、エチオピア高原の吟遊詩人による物乞いの様子を収めたものであった。上映後、川瀬氏は、自身にとっては作品上映そのものが姫田氏に対する問いかけであると述べた。それに対して、姫田氏は、他地域の吟遊詩人の事例をいくつか紹介した上で、同作品中の吟遊詩人の発声の仕方は、高原地方独特の発声法なのかと質問した。それに対して、川瀬氏は、比較的視点から、吟遊詩人の発声を分析したことはなく、今後の課題とすると述べた。
以上の上映・発表の終了後、フロアの参加者から姫田氏に対する質問がなされた。質問は多岐に渡ったが、ここでは、今回のシンポジウムの趣旨と特に関係が深いと思われた二つの質問と、それに対する姫田氏の回答のみを紹介しておく。第一の質問は、姫田氏の作品には、姫田氏自身の肉声による説明的なナレーションが入っているが、字幕ではなくそのような手法を用いる理由を問うものであった。これに対して、姫田氏は、記録映像の制作は、制作者と被撮影者とのコミュニケーションそのものであり、ナレーションは記録者としての姫田氏が、被撮影者の人々との関係性を表現するのに適した手法のひとつであると答えた。第二は、姫田氏が師事した宮本常一氏との関係についての質問であった。姫田氏は、宮本氏から、記録者は徹底して対象の細部までを客観的に観察する必要があると指導を受けたこと、宮本氏に自身が「詩人」であると指摘された経験などを語った。
以上が、シンポジウム第二部の概略である。姫田氏は、フィールドワーカーが撮ってくる映像内容は貴重であり、今後もこのような機会を設けて上映することを推奨していたと思う。しかし、それと同時に、筆者は、姫田氏が、若手研究者に対して、「記録映画」あるいは「作品」としての映像を仕上げていくことは、生半可な道のりではないということを、言外での表現も含めて、優しくも厳しく説いていたのを感じた。研究者でも簡単に撮影・編集できる時代になったからこそ、研究者は、姫田氏のようなプロの映像作家、映像記録者の存在・営みを意識しながら、研究者として研究上でどのような映像実践が可能なのかを探求し、研究上での映像活用の「実践哲学」を構築していく必要があるだろう。今回のシンポジウムで、若手研究者たちは生身の姫田氏と交流することができた。その結果、若手研究者たちは、「研究上の映像実践」に対する意識を、従来よりも強く持ち始めている。そうした点からだけでも、今回のシンポジウムは有意義なものであった。今回の企画にこころよく応じてくださった姫田忠義氏に心から感謝したい。(第二部報告・文責:新井一寛)
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