Kasou Chikyuu Kenkyuukai
contents
top page
about
information
topic
Google Earth Message
database
link
inquiry


世界のドア  榊原 寛

世界のドア‐のコレクションです。 ●にドアの写真が集積されています。グーグルマップ、『仮想地球』データベースでご覧ください。ここでは、ザンジバルドアと他地域の類似性に関する考察を行ないました。


doors 8 7 6 5 4 3 2 1

はじめに

 我々の日常を見渡してみると、布団や毛布の柄、公園の地面のタイル模様、ラーメンどんぶりの唐草模様に至るまで、なんらかの「装飾」がほどこされたモノで溢れている。この「装飾」を、通文化的に見渡してみると、どのようなことが明らかになるか。なぜ人は装飾を欲するのか。装飾という、目に触れるものに何らかの文様を刻む、という不可思議な行為の意味と目的はそもそも何であるのか。装飾は文化間でどう多様であり普遍的であるのか。そういった問いについて考察を試みるのが今回の目的である。
 人は身の回りのあらゆるものに装飾を施す。身体、衣服、アクセサリー、食器、家具、宗教的な祭具、建築、などなど。衣食住を含め、多くの身の回りの品は程度の差こそあれなんらかの装飾が見られる。本研究ではその中から、「ドア」の装飾に着目してみようと思う。
 なぜ「ドア」であるのか?それは以下の理由からである。ドア、というのはおよそ壁のある建築を建てる文化ならどこにでも見られる点。そして、ドアとは当然、人が出入りするための開口部という実用性を持って生まれたため、どの文化圏でも構造的基本形は共通である。ゆえに、地域ごとの装飾の共通性、差異などを抽出しやすいと思われる。さらに、ドアなどの建築の開口部は、窓などと並んで「あらゆる文化において最大級の装飾的扱いを受ける」部位なのである。(その理由として、ドアは住居の内と外を分ける境界を象徴的に示すものだからであると言われることもある(布野編『世界住居史』p.135))従って、ドアはその文化圏の装飾のありかたが端的に凝縮されている、と考える。以上のような理由から、通文化的に世界の装飾の多様性と普遍性を捉えるために、ドアは観察対象として取り上げることとした。
 今回、様々な地域のドア装飾を調査することで得られた仮説は主に二つある。一つは、ドアの装飾文化が古くから盛んであるといわれるインド洋世界では、非常に広い地域で、人々の交流の結果モチーフが伝播している可能性があることである。もう一つの仮説は、各々のモチーフの差異を捨象したときに、装飾の仕方は通文化的に共通なのではないか、というものである。両者は性質を異にする知見であるため、以下、2部に分けてそれぞれを記述する。

I. インド洋世界の広範囲に渡るいくつかのモチーフの共通性
-特に「ザンジバルドア」のモチーフの広がりについて-

 筆者は以前、タンザニア連合共和国のザンジバル島におけるドア装飾の調査を行った。ザンジバル島は19世紀にアフリカ、インド洋そして世界を結ぶ中継交易港として栄えた歴史を持つ。ゆえに、島にはインド亜大陸、アラビア半島などから多くの人々が移り住み、各々の地域的特徴を伝える豪奢な装飾のドアが多数家屋に備え付けられ、現在「ザンジバルドア」として観光客の目を楽しませている。
 さて、今回、世界のドアの画像を収集する過程で、ザンジバルドアに用いられているモチーフが意外なほど広範囲に渡って分布していることが観察された。これまでもいくつかの文献でザンジバルドアのモチーフの起源について軽く言及されることはあっても(Burton(1924)、Mwalim(1998)など)、実際に多くの地域のドア画像を分析してその地理的広がりを調べられることは無かった。その意味でも、今回の発見は今後のより立ち入った研究の指針となるであろう。
 さて、代表的な興味深いモチーフの地域的広がりは以下の3点である。

1、guruguru
 現在のザンジバルドア職人からguruguru(現地のスワヒリ語で、トカゲの一種を意味する)と呼ばれるモチーフは、Burton(1924)によると、アラビア半島を経てザンジバルにもたらされたモチーフであり、その起源はさらにシリアの女神atargatisであるという可能性が指摘されている。しかし今回の調査によって、類似したモチーフがインドのラージャスタン州に位置するドアにも観察された。ザンジバル島とアラビア半島はイスラム教、しかしラージャスタン州はヒンドゥー教徒が多い地域である。ゆえに、何らかのルートで宗教、民族、国の異なる地域へモチーフが伝わったことを示唆している。
guruguru
2、kikuba
 現在のザンジバルドア職人からkikuba(スワヒリ語ではハーブの一種を意味するらしい)と呼ばれるモチーフは、これもアラビア半島、またはペルシャからザンジバルに伝わったとされる。事実、ザンジバルにおける「アラブスタイル」と呼ばれるドアに用いられる代表的なモチーフである。島にインド人が移住して来るはるか昔の年号が刻まれているドアにもそのモチーフが刻まれていることからも、ザンジバルのドア装飾におけるkikubaはインド経由ではなくアラブ世界から伝わったことはほぼ間違いが無い。しかし今回のドア画像収集の結果、これもほぼ同様のモチーフがインドのラージャスタン州のドアに用いられていることが確認された。ザンジバルに直接移民してきたインド系人は西インドの海に面するグジャラート州であるとされており、一方ラージャスタンはその北に接する内陸の州である。グジャラート州の、特にザンジバルに移民して来たインド系人の主な出身地であるとされる港町mundraのドアを精査したが、この町のドアには一切このkikubaは用いられていなかった。kikubaのモチーフが見つかったラージャスタン州の都市はメヘランガルなど内陸貿易で栄えた地であることから、これもやはり内陸経由でザンジバルとは別のルートでアラビア半島から伝わったのではないかと想像が膨らむ。
kikuba

3、mnyororo
 「鎖」の意味を持つこのモチーフは、ドアのフレームを取り囲むように彫られ、ザンジバルでは家の安全を守る力があるとされる。これもアラビア半島から伝わったドアに彫られていたことから、当然この地域を起源とするモチーフであるとされていた。しかし今回の調査結果から、奇妙なことに、ネパールのドアにも同じ鎖のモチーフが、フレームを取り囲むように彫られているものが見つかった。これほどまでに離れた地域で同じモチーフが見られるのは、どのような交流の歴史があったのか、あるいは単なる偶然であるのか。また、家の安全を守るという象徴性は共通しているのか。今後、より立ち入った研究が必要であろう。
mnyororo

第一部のまとめ
 これまで、ザンジバルドアのモチーフの起源については、いくつかの文献で軽く記述されては来た(Burton, 1924; Mwalim, 1998など)。また、現在のザンジバルドア職人にも、ドアの起源について、これはアラブスタイルである、インドスタイルである、と伝承に従って分類されている(榊原、2009)。だが、実際にインド洋世界各地に残されたドア装飾をサンプル化し、モチーフの地理的広がりを調査し、その広がりの歴史的背景、交流の背景と関連付けた研究はまだなされていない。
 今回の私の発見は些細なものである。だが、古来ヒト・モノの交流が盛んであったことが近年見直され、研究が進んでいる「インド洋世界」の実態を知るための第一歩として、今回の成果が利用できるのではないかと期待している。

II. 世界のドア装飾の共通性について

 さて、今回のような広い地域にわたるドア装飾の比較を通して、モチーフの共通性とは別に、より抽象的な次元で、装飾のなされ方についてある共通性・普遍性のようなものが抽出できるのではないかと思い至った。この第二部では、このことについての仮説を提示したいと思う。
 当然、非常に類似したモチーフが離れた地域に観察された場合、それは人や物の交流の結果、モチーフが伝播したと考えられる。では一方で、モチーフの共通点が一つも無い場合、それは全く異質で、互いに無関係で、文化ごとにいくらでも多様でありうるものなのであろうか。私はここで、各々の装飾の具体的なモチーフを捨象して、装飾のなされ方そのものの共通性に着目してみた。結論から言うと、あらゆる地域のドア装飾は、たとえモチーフが共通せずとも、まったくランダムな、恣意的なモチーフの配置が各地域に見られるのではなく、モチーフの並び方にある種の規則が見出される、ということを述べたいのである。それは、以下のような仮説としてまとめられる。

  1. 装飾は、シンプルなパターンを等間隔・規則的に繰り返して空間を埋める、というものと、特定の部分のみに何らかのモチーフが単体で用いられ変化を付けるという、二つの相反する指向性の混合で成り立っている。
  2. 文化ごとに、あるいはドアごとに「繰り返して均等に空間を埋める」か「変化を付ける」かの装飾の比率は異なる。
  3. しかし、「変化を付けられる」場所は、世界中のドアで普遍的であり、その場所には2種類ある。1つは、構造的な形の変化が元来ある場所であり、もう1つは空間の等分割点、である。

 以上の仮説を図の写真と解説を参照しながら具体的に説明する。
 まず、図4に示したのは、均等に繰り返されある面積が埋めつくされるという装飾のあり方である。この図に見られるように、各地のドアで、ミクロなモチーフが部分ごとに均等に繰り返されて、ある面積が埋め尽くされることで装飾される、という例が多く観察された。また、「はじめに」で述べたラーメンどんぶりの模様や、ステレオタイプ的に泥棒の持ち物としてマンガなどによく登場する日本の伝統的な風呂敷の唐草文様などもこのタイプの装飾に当たろう。
iteration1 iteration2

 次に、図5に示したのが、特定の部分に変化をつけるという機能を果たす装飾の例である。ここで注目すべきは、変化を付けられ強調される部分は、地域や文化間、職人の個性で恣意的に決定されるものではなく、世界中である程度共通なのではないか、と思われる事実である。具体的には、フレームや上部の飾り板など、ある長さを持った部分を均等に分割する点(中間点、3等分、4等分・・・などの点)であるか、構造的に変化が存在する点(ある構造体の上端、下端、角部、地面と接する部分、など)である。
 装飾と言うのは、(おそらくドアに限らず)図4のような要素と図5のような要素の混合で成り立っている。
accent1 accent2

 では仮に、この図4、や図5で示したものに従わない装飾とはどのようなものであろうか?図6では、そのような装飾の一例を図示してみた。これを見てば明らかなように、こういった恣意的な装飾がなされたドアが世界のどこかにあろうとはあまり想像が出来ない。
random こんな極端に無茶苦茶な例を作ったら、それが「ありえそうにない」のは当然である。このような装飾がありえそうに無いからと言って自分の仮説の正しさを主張するとは乱暴な議論ではないか、と感じられる方もおられるだろうか。しかし、本当に各々の地域やコミュニティの文化が、社会的・歴史的な過程の結果として後天的に、恣意的に、いかようにも変化するのであれば、図6のような一見無茶苦茶な装飾もいくらでもこの世界に溢れていてもよいはずなのである。図4や図5のような整った装飾が偶然生まれる可能性の方が圧倒的に少なくなるはずなのである。加えて言えば、どうしてわれわれは直感的に、図6のような図を見せられたら、まとまりのない、無茶苦茶な、ありそうにもない装飾だと感じてしまうのであろうか?私が問いたいのはそこなのである。人は自然と、たとえどんな文化的環境の中で後天的な影響を受けようとも、自然に、あるパターンの装飾を志向してしまうのではないか、心地よいと感じる装飾のあり方は、人類にある程度普遍的なのではないか。そのことについて、次節で述べる。

第二部の位置づけ
 前節で述べたような装飾の「共通性」をどのように解釈することが出来るであろうか?単なる偶然を、あるいは、当たり前すぎることを「共通性・普遍性を発見した」と大げさに取り上げているだけであるのか。
 これまでいくつかの学問分野で、装飾の意味や本質について、人間の心理学的、あるいは生得的な特質と関連付けて考察が行われてきた。この節では、それらの文献に述べられた記述と関連付けることで、今回の発見の位置づけをこころみたい。
 芸術心理学者ゴンブリッチ(1989)によれば、快感を与える装飾の視覚モチーフとは、「構成が簡単で容易に知覚できる一方、退屈さを感じるほど単調ではなく、それなりの法則が汲み取れるやや入り組んだ模様」であり「反復するモチーフに対する予測が適度に当たるとともに小気味よく外れる」ものである、としている。
 また、Sütterlin(2003)は人間が進化の過程で獲得してきた脳の特性と人間の美意識の関係について述べた論文の中で、人は複雑なカオス状態の自然界の中で視覚情報を効率的に処理し外界を認識するために、情報を縮減し、容易に記憶に留めるための能力、類似性と差異を発見しカテゴリー化する能力、規則性を発見し、帰納的予測を行う能力、などが備わっているとされる。進化心理学者のピンカー(2004)によれば、これら生得的で有用な能力の副産物として美意識は存在し、「芸術や装飾に用いられる心地よい視覚モチーフは、視覚系が適切に機能して世界を正確に分析していることを脳に告げる、これらのパターンを誇張したものである」と記述している。
 今回の私の調査は、以上のような理論的な装飾の本質についての説を、多くの具体例から補強するものになるのではないかと考えている。つまり、たとえ離れた地域同士のドアで、モチーフの共通性が一切無く、伝播の可能性が低くとも、ドア装飾は普遍的に、あるモチーフが繰り返され、そして特定の部分にだけ強調がなされ、適度な規則性と変化を作る。そのような図像を心地よいと感じる感性が生得的に人類に備わっているからこそ、同時発生的に世界の装飾が同様の特徴を持つに至っているのではないだろうか。

まとめ

 当然、今回の調査で得られた知見は1部、2部ともにあくまで仮説の域を出ない。しかし、これまで装飾研究では、狭い地域の伝統としてのみ装飾が捉えられ、その必然として当該地域の文化的背景、象徴性の探求にばかり考察が進められてきた嫌いがある。だが、この仮想地球研究会の一環として、広範囲に渡るドアの画像を収集してそれを地図上にプロットし、一望の下に見渡すことにより、一つにはザンジバルドアのモチーフの意外な地域的広がりを発見でき、もう一つには、装飾のありかたの共通性・普遍性の仮設を提示することができた。このような発見が出来たことはこのプロジェクトならではであり、今までの特定地域に密着した研究ではなしえなかった成果であろう。今後のより実証的な研究のためにはまだまだ課題も多いが、これからの展望をわずかなりとも開くことが出来たのではないかと考えている。

参考文献
Burton, F. R., 1924. Zanzibar Doors. Man. 24: 81-83.
Mwalim, Mwalim A. 1998. Doors of Zanzibar. London.
Sütterlin, C., 2003, From Sign and Schema to Iconic Representation. Evolutionary Aesthetics of Pictorial Art, in Voland and Grammer eds. Evolutionary Aesthetics, pp.131-170, Berlin
ピンカー、スティーブン(山下篤子訳)2004 『人間の本性を考える 心は「空白の石版」か』(上・中・下)日本放送出版協会
ゴンブリッチ、エルンスト(白石和也訳)1989『装飾芸術論 装飾芸術の心理学的研究』岩崎美術社
榊原寛 2009 「タンザニア・ザンジバル島における近年の文化変容 -「ザンジバルドア」のデザイン分析を切り口にー」『アフリカ研究』74 、19-36.
布野修司編 2005 『世界住居誌』昭和堂

↑ページトップへ